11月10日

 

 

見える景色がずっと同じ。

 

 

朝、空、風、ちょっと寒い、無心、お弁当、無心、疲れたなぁ、真っ暗、渋滞、おなかすいた、お風呂ぬるい、おふとん、私を包んでください、おやすみなさい、夢の中は楽しいな

 

 

この繰り返し。

 

 

 

 

 

宮本浩次のカバー、素敵なの。

特に「木綿のハンカチーフ」。

 

端的に言うとあの曲って、田舎に残された彼女が、都会に働きに出ちゃった彼氏に結局捨てられちゃうって曲で、初めて聞いた時から勿論彼女の方に感情移入してしまっていたわけ。

 

 

でもね、みやじが歌うと、彼氏の方も彼氏なりの葛藤があったんだろうなってすんなり腑に落ちたのよね。

 

 

やっぱり難しいよね、人の心って。

 

 

 

 

 

 

「愛の真実」を、自分の役の歌として歌えたことは本当に幸福な事だったと思う。

私も死ぬ直前には、愛すべき何かに向かってこの曲をめいっぱい歌ってから死にたい。

 

 

 

ただ、本家verで歌うか、武正verで歌うかは要相談だな。

 

愛の真実が愛のままで終わるか。

愛の真実がやはり恋に変化して終わるか。

 

 

考え始めると面倒なので、ひとまず私的には全部恋に変わってしまえと思う。

 

 

 

「愛されることの喜びと

愛することのときめきと

苦しみ

全てあなたを通して知った」

 

 

 

ある人に

 

 

「あなた自身、本質的には確かにキャサリンだと思う。でも、愛されることの喜びを知らないところだけはキャサリンと違う。」

 

と言われたことがあって、まさに的を得ていた。

当の私は、想像するまでもなくさみしい気持ちになった。

 

 

 

 

私は思ったんだけど

この曲、キャサリンが歌ってると思うと、まぁ愛し愛される対象はジョルジュなんだと思うんだけど、あの作品中でジョルジュに愛されてる瞬間なんてあったか……???

 

 

 

それがちょっとよくわからない。

 

 

そもそもそれがわからない時点でやはり疎いのか。

 

 

なんでこんなに愛を受けることに対して疎いのだろう私は。

 

 

そもそも愛ってなに。(この疑問n億回目)

 

 

 

 

 

 

 

 

今の私はからっぽで、まるでロボットのよう。

 

 

本音を言えば、本当になにもしたくない。

 

 

11月9日

物理的に自分を見るのが好きじゃない。

 

お風呂を出たあと、じっと自分の顔を見つめてみる。

お、意外にも、自然に紅潮した頬が好き。

それに気づいた瞬間だけ、自分の瞳の中に入れるような気がした。

 

乾かしたて、少し長めの前髪からのぞく目が、まるで自分の目じゃないみたいで、心ごと無言になる。

 

 

 

足取りは軽く、声もそこそこに弾む。

少しだけ背中が痛くて、何故だか耳が赤い。

 

体つきは女だった。

洗面台の安い蛍光灯は、意外といい仕事をしている。肌がとても白く見える。

 

この白い皮膚の下に赤い血を宿していると思うと、不思議な気持ちになる。

皮膚って意外と頑丈なのね、もっと透かしてしまってもいいのに。

 

 

 

 

 

 

 

人生は、忘れがたい断片にどれほど心を動かされたかで決まるらしい。

 

それで人生が決まるとは思ってないけど、私も大切な瞬間はいくつか抱いているし、それを誰にも見られないようにぎゅっと抱き締めて生きてる。

自分が体感した断片は、どれも意外といいものだと思ってる。そのことだけ考えたら、私の人生は割と小説的だと自負したい。

 

 

 

 

 

「尊厳」

 

という言葉について、やっと考える時期がやってきたらしい。

 

 

尊厳。

 

尊く、おごそかで、犯してはならないこと。気高く威厳があること。

 

 

 

人はみな、尊厳を抱いているものなのだろうか。

私的には、人間自体が尊厳というか、人間の存在がそもそも尊厳そのものなのではないかと感じた。

 

だって、尊くて、おごそかで、犯してはならない。それって、人間のことかなって。

 

 

でも、なんていうか、もう少し端的に言うと「傷つけられたくない部分」が尊厳?

尊厳を壊されちゃうと、凄く生きる自信を失うと思う。

そう思うと、誰もが心の中に尊厳を抱いている…のだろうなと思う。

ただ、本当に多岐にわたるとも思う。様々な尊厳の形があり、種類があり、言葉として言い表せないものもあると思う。

人の数だけ、いやそれ以上に、尊厳は存在する。

 

 

そして思った、むやみに人の尊厳に触れてはいけないなって。

たまーに触れちゃうことがあるんだと思う、意図せずとも、あっ、この人の尊厳って多分ここにあるんだ、ってはからずも現れちゃう時が。

もしくは触れられて始めて、私の尊厳ってここにあったんだなって気づくこともある。そんな時に、きちんと尊厳から1歩引いてあげなきゃいけないんだなって思ったの。

 

 

尊厳って、すごく弱いと思った。

ふよふよしてて、柔らかくて、すぐ飛んじゃう羽みたいで、すぐしぼむ。

 

 

いかつい漢字のくせに、実際とても弱いなと思いました。

 

 

 

 

 

10月の目標は

 

「秋、大堪能」

 

 

 

 

個人的には、めちゃくちゃ苦しんだので、クリア。

 

 

私の中の「堪能」は、娯楽や何かを楽しみたかったという訳では無いです。

なんていうか、いかに知見を得られたか、みたいな感じ。

 

 

 

 

無意味な夜もわりと過ごしました。

心と身の起き所が本当にどこにもなくて、意味わからない時間から本庄早稲田方面の喫茶店で人生初のウインナーコーヒーに挑戦したり。

男性客や高校生達に紛れて、そこそこかわいい服を着たままラーメンを食べてみたり。(替え玉できなかったちくしょう)

死んだ顔でズカズカとコスモス畑に分け入ってみたり。(通りかかりのバイクのお兄さんに心配された)

 

 

 

 

本当に、

 

 

清々しく、死にてえなぁと言える日々でした。

 

 

 

こんなこと言っちゃっていいのかな。ま、いっか。たまにだし。

 

 

 

 

秋は本当にいい季節です。

 

 

深く堕ちていける。

私の手をとってくれた人だけが幸せになればいいとすら思っていた。

周りにいい顔をする事が段々と苦手にもなってきますね。

 

 

 

ただ最近、あぁ私甘っちょろかったなぁ、なんて思ったりしたこともあったので、ちょっとこの辺は11月に引き継ぎます。

 

 

 

 

 

 

 

11月の目標は

 

 

 

「堪能の先に行く」

 

 

です。

 

 

 

 

 

いちょうが色づいたらしいよ。

 

 

 

 

 

神奈月記

 

 

 

10月が終わった

 

 

本当に苦しい1ヶ月だった

 

 

 

 

涙が止まらなかったり、頭が働かなくなったり、自分が今何をやっているのかわからなくなったり…

 

という期間が、多分人生最長で続いた。

 

 

本当に苦しかった。もう何も出来ないと思ったし、本当に仕事にも行けなくなると思った。

 

 

 

でも、こうして乗り越えてしまって、またその事実にも悲しくなってみたりするのだ。

 

誰かにちゃんと相談すればよかったかな。

永遠の課題だけど、上手に甘えられるようになりたいな。頼ることも覚えたいし。

 

 

 

 

だめだな、言葉が湧かない、やめよう。

 

 

 

10月23日

 

 

 

夜は沢山夜更かししたいけど、朝もそれなりに早く起きられないと不安になる。

 

ただ、睡眠時間が短いとすぐ体調不良になるので(多分気持ちの問題だけど)、今は朝早く起きることを優先してしまう。

 

 

会社から帰ってきて倒れるように眠ってしまった。

 

 

目が覚めたのが22時頃で、なんとなくリビングにあった夕飯と、なんでもない日に父親が嬉しそうに買ってきたコンビニスイーツで雑にお腹を満たして、今物凄い後悔に駆られている。

 

 

 

 

 

不安定ながらに、何かを求めて必死に手を伸ばそうとしている私だったらまだ可愛気があった。

 

 

今はそれすらない。

 

 

 

 

自分にとっての楽しみがわからん。

 

 

あと人との関わり方を忘れた。

 

 

 

 

病んでんの?と言われるけど、別に私は病んだことない。病むという感覚があんまりわからない。病んでる風には見られるけど。

 

 

 

苦しくても、何かを必死に求めてもがいていた頃は眩しかったなぁ。

情けなくて惨めな思いも沢山するけど、何かに手を伸ばす感覚って大事ですよね~なんて軽々しく思ったり。

 

 

他人の幸せと自分の幸せを比べてもキリがないというか、別に他人の幸せには興味無いけど、他人の幸せと私の幸せが交わらないことは残念ですねって気持ち。

 

 

幸せを共有出来る人に会いたい。

 

 

私は幸せそうな人が好きなんだろうな。

いや、好きじゃないんだけど。

自分より苦しそうな人いたら悲しくなっちゃうもん。

 

 

 

 

気持ち悪い。

自分でもなんだかよく分からないこの気持ちたちが、世間一般的には病んでるみたいな言葉で片付けられてしまうことも、いや、根本的に自分の気持ちが最も、気持ち悪い。

 

 

 

 

 

明日早起きしよう。

 

 

 

起き上がれる力があるなら。

 

 

 

 

 

 

 

10月18日

 

 

 

自分はいい大学生活を送ったんだろうなーと思う

 

 

夏の海も花火も流しそうめんも出来ないくらい忙しかったけど。

夏休みも春休みも休んだことないけど。

土曜日は4年間で5回くらいしか休みなかったけど。

 

 

 

比べ物にならない宝物を得た。

 

 

 

 

 

 

 

私が欲しいのは、安心感

 

 

深呼吸できる平日

 

 

それに尽きる

 

10月15日

 

 

窓口の隣の隣のおばさんのノートが、

業務が始まる前にちらっと見えた

 

 

そこに、そのノートのはしっこに

 

 

 

「魂を磨く」

 

 

 

 

と書いてあった。

 

 

 

 

60歳目前なのに、何を哲学乙女みたいなこと言ってんだろうと思うわけ。

 

 

でも、わかるの。

 

その人、物凄く若いの。

若く感じるの。

 

少女みたいなの。

 

だから、多分心のどこかでずっと

 

 

「あぁこの人魂磨いてるなぁ」

 

 

 

なんてことは、私だったらわかっていたはず。

 

 

 

だから、今日は見事それが確信に変わって、嬉しかったです。

 

 

 

 

 

そして、そういう日に限って、ダブルパンチを食らう人生。

 

 

 

おばさんはパートさんだから、私より早く帰るんだけど、帰り際そのおばさんが神妙な面持ちで私の前に止まってこう言った。

 

 

 

「…銀行の仕事は楽しいかい?」

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、見透かされてる、と思った。

 

 

一瞬で私の本心に触れたことに気がついたのだろう。

すかさず、

 

 

 

「そんなこと考えたこともないか!笑笑」

「いやー…ほら、色々溜まってさ、急に爆発しちゃうと良くないなぁって思って。何かお手伝いできることがあったら、いつでも言ってください。」

 

 

 

 

と、私の回答も聞かずに言葉を続けてくれた。

 

 

 

 

 

私はおばさんがそこを去ったあとも、精神的に黙りこくってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感受性の強い私だけれど、正直、働き始めてから1度も、仕事になんの感想も持ったことがなくて。何も楽しくない。なんとも思わない。ただ大変なだけ。ただ精神がすり減るだけ。

 

私は働く理由を「生きていくため。野垂れ死にしないため。お金を貯めるため。」と設定していたけど

 

 

 

 

 

それじゃだめだったんだ。

 

 

 

 

生きるためにお金を稼いでても、心が動いてなかったら私にとっては死とイコールなんだ。

 

 

 

 

 

働き始めて、社会に出て、やっと気づいた。

 

 

 

 

 

「やりたい仕事にチャレンジしなきゃ」

「自分が好きだと思う場所に飛び込まなきゃ」

「モチベーションが上がる場所に向かわなきゃ」

 

 

 

 

 

反面教師にして申し訳ないが、それに気づかせてくれた今の職場にはとても感謝している。私の人生においてもすごく大切な気づきだったと思う。

 

 

 

 

さて、どう生きていきましょう。

 

 

 

問題は山積み。空よりも高い。

 

 

 

ここ最近毎日思う。

私は本当に何も持っていなくて、本当に失うものが何もないんだ、と。

 

 

 

きっとなにも怖くないの。

 

 

 

泣くのやめよう。