2/25
心の在り方について。
大学4年間の中での変化より
社会人になってからの1年の変化の方が大きい気がする
大学生の頃は、なんていうかめちゃくちゃ病んでた?(私的には病んでないけど傍から見たら病んでるように見えてたと思う)けれど、なんか社会人になってから変な病み方をすることが減った。(気がする)
落ち込んでからの立ち直りも早くなったし、変に無意味にもやもやすることとか、血圧が低い感じとかも少なくなった気がする。血圧も上が100を超えるようになったし!(ちょっとだけど)
1番おお!って思うのは
(下血の回数が減った👏)
やったね!!!(完全に無くなったわけじゃないけど)
大学生の頃は毎日めちゃくちゃ死にたかったけど、(まぁ今も思わないことはないけど)、それも減った。
やっぱり沢山寝てるからなのかな。笑笑
でも睡眠の凄さはめちゃくちゃ痛感してるよ。
死ぬって思ったらとにかく寝ろ、っていろんな人が言うけど、あれは多分正しいんじゃないかな。
あとはまぁ、私的には縋るものがなくなったってのは大きいかな。人生の支えが、常に手を伸ばしていないとなにもないというか。自分でしっかりしないと、幸にも不幸にもなるというか。だからこそちゃんとしなきゃ感が増した。自分を幸せにできるのは最悪自分しかいねえんだな!!って思ったというか。正直、大学生の頃は「大学生」というステータスに甘えられる部分もあったし、なにより私には舞台があった。今は安心して立っていられる場所がないもの。しがない社会人。体裁的にはぼっち。どう生きていくべきなのか悩み続けるばかりです。
大学の頃は舞台をやっていたこともあって、毎年のルーティーンみたいなものがあった。
けど、もうそういうのもないし。
毎年この時期にこれやろうね!とか、毎年この時期に会おうね!みたいな何かもないし。
ただ春が来て夏が来て。秋が来て冬が来る。
仕事仕事仕事。
いったい私はこれからどうやって生きていくんだろう。
昨年の秋、大学のいちょうの木を見に行かなかったこと、未だに後悔している。
あれだけずっと考えてたのに、なんだかんだで行けなかった。いや、行かなかった、のかもしれない。
まぁ見たところでさ、色々思い出して感傷的になりたいだけやろって感じなんだけどね。笑笑
いちょうがまた色づいてくれるのを待つには、あまりにも長い気がするの。
「昨年の秋」って言うと、凄く昔のことに感じる。けど、ほんの数ヶ月前のこと。
時間に置いてけぼりにされてる気がして、少し寂しい。
正直つかれたなぁ
本当はもっと元気な状態で言葉を綴りたいし、沢山沢山書いていたい。
トナカイさん(私の好きなTwitterの詩人さん)は、今年に入ってから未だに休日がないくらいの社畜らしいんだけど、それでもああやって日々美しい言葉を紡いだり、写真として日常の断片を切り取ってみたり、季節が魅せる表情に敏感だったり…凄いなぁ。
豊かな人は、どんな日々でも印象的に生きてるんだな。私もそうなりたい。
最近働いてて思ったんだけど、多分私は我慢が得意なんだ。別に仕事だけに限った話じゃないんだけど、我慢が上手。でもそれって、周りにとってはいいかもしれないけど自分にとってはちっとも良くないよね。そういうのってさ、どうしたらいいんだろうね。
だから感じたんだけど、私多分辛いとか苦しいとか叫ぶ前にぽっくり死んでる気がする。笑笑
布団ってあったかいな
ひとまずあと1日ちゃんとしよ
久々
なんとなく気持ちが落ち着かないのはきっと、久々に舞台に立ってみたから。
ちっぽけだったな、自分。
不可抗力だった、あれだけ公民館で練習してたのに何も出来なかった。
小ホールとはいえやっぱり舞台は大きい。
身体中で表現をしていたあの頃を鮮明に思い出した。確かに、この程度じゃ後ろまで伝わらないよなぁ、と。
でも不思議なことに…
なんだか思ったより身体の力が抜けたんだよなぁ、自然体でいられたというか、呼吸がしやすかったというか。
相手の瞳は当時のままだった。
嬉しくもあり、切なくもあり。
ハンドマイクを使うことになったから、ちょっと調整しなきゃいけないところが増えて不安もあるけど…
マイクに声を通す時のあの繊細な緊張感はわりと嫌いじゃない。
だし、やっぱり会場全体に大好きな相手の声が満ちるのは、隣にいる私でさえ鳥肌が立つ。
何が起きたって妥協なんてするはずがないんだから。
それはきっと相手もそう。
死ぬほど集中して、死ぬほど入り込む。
マイクを身体の1部にする。
私たちが1番届けたいのは「歌」だものね。
そんなことを考えながら残りの練習に励んでいけたらいいな。
ピンチはより良くなるためのチャンス!
がんばりたい、初心に帰るぞ。
逆境ほど燃えるタイプ万歳
今日はなんとなく、練習のあとは帰った方がいいかなって思ってたんだけど
なんかよくわかんないけどいつも通り誘ってしまった。
私の気がちょっとだけ滅入ってたのと、ひとまず舞台練で変に高ぶった気持ちを落ち着けたかったのと、このまま家に帰ったらぽろぽろ泣く気がしたから。
否定もせず一緒に夕飯に付き合ってくれる優しさ。ちょっとくらい否定してくれていいのに。
ご飯を食べ始めて数分は、舞台練の疲れと、急なマイクの変更に気持ちが急いていたのと、最近も真面目な話ばかりしていたこともあって
何話せばいいのかよくわからなかった
あれ…なんか、今後もなんかずっとこんな感じなのかな…なんかあんまり上手に言葉でない…
って思ってて実は凄く不安だったけど
なんだろうね、時間を重ねる毎に、やっぱり会話のテンポも良くなってくるし笑顔が増えてきちゃうんだよな。
話したいことがどんどん浮かんでくる。話しても話しても話し足りなくて、いや、最近だってかなりの頻度で会ってるのにね?
帰んなきゃ、もう帰んなきゃって何回思っただろう。
今日はおにぎりの話が出来たのが楽しかった。
長い時間を一緒に過ごしているようで、まだまだ知らないことが沢山ある。
生きている限り、私とは違う世界を長い時間見つめているわけで…そんな中での知見をもっと共有出来たらいいなと思ってみたり。いやもう充分してると思うんだけどね。
もっと知れたらいいな、わかりあえたらいいな、ってわがままなのかな。
そんなこんなですわ
めちゃくちゃ身体が疲れてる
3日間持つかな
しゃきっとしなきゃね
布団の上で
現実を見て
何かが溢れてきてしまった
どこにも行けないし、どこにも逃げられない
強く生きたいってなに、ばかみたい
くだらない、くだらないくだらないくだらない、全部全部全部全部全部ばかばかしい
3日無断欠勤すれば会社はすぐクビになれる
荷物をまとめて出ていけば引き止める家族はいない
キャッシュカード2枚、きっと3ヶ月くらいは生きていける
どこにいてもなにをしてもひとり
あぁ
つかれた
つかれた
道
26時の高崎。
似たような店が隣接するのは何故なんだろう。
車屋のそばに車屋があったり、雑貨屋のそばに雑貨屋があったり、吉野家の隣に松屋があったり。
最近道路工事が流行っているのだろうか、やたらと片道が封鎖されている。
物心ついた頃から、深夜の道路工事のおじさんを見ると涙がでてくる習性にある。あたたかい缶コーヒーの1本でもくれてやれればいいんだけど。
26時。冬。重苦しい服に身を包んでの力仕事。そこまでして守りたいものってなんだろう。どんな家族がいるんだろう。はたまた1人かな。親と同居かな。可愛い子供がいるんだろうか。
高崎の道は、大好きで嫌いだ。
道の至る所に、あまりにも思い出が詰まりすぎているから。
眠い目を擦って大学に向かったこともそうだし、準備万端で胸をときめかせて会いに行く時も。初めての感情を覚えた満月の夜も、身も心もぼろぼろにされて帰った深夜も、そういえば高崎の道だった。
あの頃の私と今の私は何が違うんだろう。
こないだ言われたことメモ。
「あなたは想いを〝残す〟のが上手だよね。」
…どういうこと?
「たとえ離れても、なんか残るものがあるの。ちょっとしたひとこととか、何気ない姿とか。なんでだろうね、とにかく、何かを残して去っていく。そして心の中で何かが繋がって、あなたの残したものが生き続けていくの。そんな人に感じる。」
そうなんだ…。言われるまで、そんなこと考えたこともなかった。
残す、かぁ…。
こないだ、朝お風呂に入った。
朝のお風呂はお湯によって蒸発した霧が映えるから好きだ。
身体にシャワーを一通りかけて、そのあたたかさに力が抜けてマットにへたりこんだ。
無防備な私の横で、暴れるシャワーヘッド。
窓から差し込むプリズムみたいな光。
光に照らされる無数の霧があまりにも美しくて。
美しくて。
どうでもよかった。
何に悩んでるのかわからなくて泣いた。
前向きでいたい。
でもどこが前でどこが後ろで横で斜めなのかわからない。
自ら出てくる言葉が全て薄っぺらく感じる。いらいらする。正解も真実も吐けない。いやでもそれはあたりまえか。だって正解も真実もこの世にはない気がしてしまうから。どうして逃げ道を探してるんだろう。なぜこんなにも保守的なんだろう。今更傷つくことなんてないはずなのに。でも「自分を守ることを覚えろ」と散々言われたから反省して忠実に生きているだけ。でもじゃあ自分を守るって何、自分を守るってのは、自分の「なに」を守ることと同義なのですか。
結局は誰のことも大切にできない気もして、ならいっそ空気になりたい。
枕元に置いてあった漫画の最終巻の背表紙に書いてあった。
「あなたひとりいなくなったところで、世界は何も変わりません。だから、がんばらないといけないのです。」
何をがんばるのよ。
世の中の名言や綺麗事は、リアルな生き様の前では通用しない。
何を感じ、何を考え、どうしたいか。
いつでも自分の中にしか答えがない。答えがないなら自分で答えを創るしかない。
契約
朝起きたら胃が痛かった。
朝起きて1番初めに思ったことは、「胃が痛いな」だったけど
2番目に感じたことは、元気にしてるかなという気持ちだった。
さっきまで考え事をしていたんだけど、何を考えていたか忘れてしまった。
私は私だし、あなたはあなたなわけであって。私はあなたの心にはなれないし、あなたも私の心にはなれない。
だから人って、どうしても自分の価値観でしか物事を捉えられない。なので人の話を聴けば傷つくし、わかりあえないことだってある。でもそれって仕方ないとすら思ってくる。だって私とあなたは全く違う別個体だもの。
「私とあなたは全く違う別個体」
ということを理解した上で。
それでも
「わかりあいたい」「気持ちを共有したい」「歩み寄りたい」
と思える存在がいたら、それはもうその気持ちを信じてそうしてみるべきだと思う。むしろ、信じたい。
長くなりそうなのでまとめると、私は私とわかりあおうとしてくれる人たちに感謝しなきゃいけないな。
まとめすぎたな。
ご飯を食べるのは好きだけど食べると体調が微妙になる、でも食べなくても力が出なくて体調が微妙になる。胃が重い。めんどい。
私は連休中だけど、仕事の先輩からLINEが来た。達成すべきノルマに届かなくて困ってるので、契約の協力をして欲しいと。
…馬鹿なのか。
でも私も先輩と同じ状況になったらどうするんだろう。
そんな形でする契約が、本当に人を幸せにするだろうか。
もやもやした気持ちで購入させられた買い物に、なんの価値があるのだろうか。
私は泣くだろうな。
意味を見いだせないものの前で、泣くだろう。
曖昧な付き合いを嫌う私はあまりにも子供なのだろうか。
それでも、私にだって「無理です」と言う権利はある。情を移らせてばかりいたら、私の身だってもたない。誰にでもいい顔してたらどんどん自分がすり減るだなんてことはわかってるし。
自分が大切にしたいことを大切にできなくなったら、その場所にはいるべきでない。
我慢することで大切なものを守れるなら我慢するけれど、我慢することで大切なものを守れなくなるのなら逃げて欲しい。
そんな仕事のLINEのせいで、一気に心に暗雲が立ち込めた。やべ、泣きそう。
すぐ不安になる。
仕事行きたくない。一生行きたくない。
1回ブログ閉じよう。
前向きな言葉を吐きたい。
2/16
つっかれた。
本当に、もう、目を閉じれば一瞬で夢の世界へ行けると思う。
今日はある人に、ブログの存在を教えた。
教えたのになんの更新もないのは非常に礼儀がないなと思うし、私も言葉を紡いでいたい気持ちは常にあるから、何かを書く。
昨日はホテルに泊まった。
1泊2500円で泊まれるの。もう4回目だった。
明るいフロントのおばさんがいつも色々丁寧に説明してくれるけど、もう一言一句暗記できちゃいそうなレベル。
鍵の使い方だって、チェックアウトの時間だって、理解度的には全てはなまるなのです。
昨日は何故か領収書を出してくれた。
いらんと思ったけど、記念にもらいました、ありがとう。なんだかんだ紙として残るの、なんか嬉しいね。
人が泣いてる時に何も出来なかった。
私はこんなんだけど聖母感だしがちというか、包容力があると思われがち?なタイプ、だから、人が悩んでる時にほっとけないし、目の前の人を全力であたためてあげたいと思ってしまう。
目の前で泣かれたりしたら、私の持つ全ての力を君にやろうと尽くす。
けど、なんか昨日はそれがあんまりできなかった。変なの。
まぁ、大切な人ほど、触れられないよね。
とはいえ流石に我慢がならなくなったのでちょっとだけ胸のうちにおさめたんだけど、私の心臓の音のまぁ早いこと早いこと。
聴こえてたらどうしよう。
無理して抱きしめなくてもいいのに。
緊張した………
なんの緊張だよ、笑
私の心臓がわかりやすいことは、結構有名な話だと思うけれども、それがどういう気持ちで心臓が動いてるのかってのはわからないことの方が多くて、かなり無意識なんだよね。
ひとまず人に触れるの得意じゃないな。
好きとか嫌いとかじゃなくて、得意じゃない。
でも私なりの愛情的な何かが伝わっているといいな。
最近は色々と考えることも多くて、でも答えが出なかったりして。答えがでないことなどわかっているのに、それでもなにかしらの答えを出さないともやもやして。珍しく、はっきりさせたい欲が強い。
今も凄くいろんなことがぐるぐるしてる。
決して後ろ向きなわけじゃないけど、整理しないと不安定にはなりそう、って感じ。いや不安定にはならねえよ。だって悲しいことなんてなにもないもん。
近年の私はずっと
誰とも繋がれないことが嫌で、特別がいないことが嫌で、誰かを想えないのが嫌で、孤独なことが嫌だった。
嫌だったけど、そんな人誰もいないんだということにこの1年間で気づいた。
繋がってくれる人も、特別になってくれるような人も、全力で愛せるような人も、孤独を満たしてくれるような人も。
私にはいない。
いないから、強く生きていくしかない。
そう思って社会人1年目を過ごしてきた。
不安的な時期を乗り越えつつも、年末辺りからやっと、ちょっとだけその状況を受け入れるようになってきたというか。
ある種の「愛がなんだ(ちょいギレ)」周期みたいなものがやってきたんだと思う。
恋と愛についてずーっと考えてて、自分の感情についてずーっと考えてて。
でも考えてても、完全に満たされることなど、ない!!
もーーーー知らん!目の前のことだけみるぞ~!!!いつか白馬の王子が現れるその時まで、つよつよの私になっておかなきゃ。全力で愛し抜いてやる、私がお前を守ってやるよってプロポーズしてやる!
って思ってた。
(なんか可哀想すぎwwwww)
外面だけでも強くなることは良い事だけど、というか、これで良かったと思うんだけど、でも
空元気の裏で大事なものを見落としてたみたいで
年始辺りに、色々あった。
もう頭に爆弾ドカーン心臓撃ち抜かれてズドーン状態。第四次世界大戦?米騒動?応仁の乱?
何が起きているんだの連続だった。
でも、凄く、久々に人の生き方に心を揺さぶられた。
こんなに近くにいた存在が、こんなに眩しいと思えるなんて。
そして、人を初めて愛しいと感じてしまった。
愛に疎いはずの私が変わっていく。
そんな瞬間に立ち会っているのかもしれない。
そう思うとここまで本当に長かったな、恋については沢山知見を得たけど、愛は1ミリもわかんなかったんだもの。
やだなー感慨深い。というか、愛って、あるんだ。
変化は怖くない。好奇心だけは旺盛だから。
でも、変化によって大切なことを見失うのだけは避けたい。だから今は自分の想いを真っ直ぐ貫くことに必死。
人生の中で感じた
満たされてない瞬間と
満たされていた瞬間を戦わせたら
多分9:1で満たされてない瞬間の勝利なの。
そろそろ満たされる瞬間を怖がるのをやめたい。
昨日見た映画にハンバーグでてきて、今ハンバーグ食べたい。
今日夕飯あんのかな。咀嚼がめんどい。
いくら強がっていても、ふと気が抜けると泣きそうになる。
それは今とても幸せだからかもしれないし、やっぱり不安だからかもしれない。
なにかを言葉にすることは非常にエネルギーを使うので、頻繁にできない。
それでも残しておきたい想い達は沢山ある。
特に、今、大事な人と生きている感覚があるので、少しでも証を残せたらいいなって思ってる。
私にとっての言葉ってなんだろう。
花束買えばよかったな。
日曜の夜
私は絶対に大丈夫だと思っていて
なぜなら、「1人で生きていける強さを持つ」と心に刻んでいるからであって
絶対に大丈夫だと思っていて
大丈夫大丈夫と唱えているんだけど
愛を感じてしまうとそれが物凄くブレてしまいそうになって
でも目の前に愛を拒絶することももうやめたいと思っていて
しっかり受け止めたいと思うんだけど
愛がそばにあることはとても怖くて
愛に自らを委ねることと、自立する心が、こんなにも両立出来ないと感じてしまうのは何故なのだろうか
苦しいです