刺青
忘れられない人
というのが、誰にでもいるものなのだろうか。
まだ好き、とか、引きずってるとか、そんなんじゃなくて、単純に忘れられない人。
いるのだろうか。
私は
わかんない。
けど
消えない刺青を掘られてしまったなと感じる人はいる。
永遠に痛い蚯蚓脹れを、心に残していった人。触れる度に痛む刺青を刺していった人。
今更私の人生に何も関係ない。
何も、何も何も何も関係ない。
過去のことだから。
別に無理に忘れようとしてるわけじゃないけど。
でも、もしその人に会ってなかったら今の自分はどうなっていたんだろう。
経験上
人を好きになると
無駄にいろんなものが輝いて見えて
例えば、毎日違う夜空の色味に気づいたり、信号機の赤青黄の光を見るだけで胸があったかくなったり、意味もなく月の写真を撮ってみたくなったり、風を感じた時に手の感触を思い出したり
何をしていても、涙が出てくる。
本当に、なんで泣いてるのかわからないけど、愛しいのか切ないのか痛いのかもよくわからないけど、泣いてしまう。
愛と恋の違いをずっと考えていたけど
人を好きになるということは、いったいどういうことなんだろう
経験上
人を好きになると
普段言語で満たされる私の脳内が、その人と一緒に見た景色で満ちるようになる。
印象的な景色が永遠に記憶に残ることになる。
経験上
人を好きになると
会えると凄く嬉しい
会う約束が決まった時、飛び跳ねる
そういう系の歌をやたら聞くようになる
経験上
人を好きになると
会う前の準備を頑張るようになる
髪型どうしよう、アイシャドウの色は?
着ていく服がないよーーわー!
無駄に早起きする。対して何も変わんないのに。笑笑
↑これ、ちょーどこにでも居そうな女すぎて笑うわ。
どこにでもいる女なんだけどさ。
でもさ、全部過去の経験上だからさ
今が果たしてどうなのか、よくわからないんだよね。
刺青はさ、
この先どんなに幸せになっても消えないんだろうな。
刺青の痛みを抱えたままで、また他の人を愛して、他の人を好きになっていくんだ。
私の中に刻まれているものはそう簡単に消えず、平然とした顔でこれからも日々を積み重ねていくの。
1人だけを愛していたいと思っている
1人だけを愛し抜くような人生で在りたいと
でもそれがどんなに難しいことか、この歳になって痛感する。
矢印って本当に噛み合わない。些細なズレでも駄目だから。
消えない気がする刺青を、薄めるように頑張ってきたし、薄まるような生活を送りたいし、今後もそういう生活を送ろうと思ってる。
刺青に甘えるつもりはない、この刺青が、永遠に消えないとも思わない。
私は今を大切にしていきたい。
それにしても、1人だけを愛していたいなんていうのはやはり綺麗事なのか。
みんなで幸せになろうよっていう思想の方が、現代的なのかな?私は遅れているだろうか。
…結局は個性の範疇ですよね。
どう恋愛をするかというのは。
双方の気持ちが合致したら、どんな形であれ一緒にいればいいのだし。
人の数だけ、いろんな恋愛の形がありますしね。
他人に対して愛しいという感情が動く……それだけで生まれてきた意味になってしまうほどに凄いことだと思うのです。だから私は、自分なりにこういう感情とは丁寧に向き合っていきたい。
こんな偉そうに文を書き連ねておいて、切迫するほど何かをプレッシャーに感じている訳でもないんですけどね。笑笑
「甘えられる場所」って少ないなぁと改めて感じる今日この頃。
しっかりしちゃうんだなー
もっと気持ちを楽にすりゃいいのに、本当はきっと甘えたがりなんだから。笑
昨晩、これまでに人から頂いた手紙を読み返していたら、結構な確率で
「あなたは1人じゃないから」
的な言葉が書かれていて、ん?って思った。
私はひとりっぽかったか…?(結構自分的には人に囲まれているつもりではいた)(人並みに)
でも、謎の孤独を抱えているようには見られるよね。笑笑
そこは否定しない。
何をしていても満たされないような顔をしているというか。
こないだ人に「工藤って夢追いベンガルみたい」って言われたけど、まぁうん。笑笑
端的に言えばそんな感じなのかなぁ?
愛情を求めている訳ではなく、愛情を見落とさないように気をつけていたいんだ。私は愛に疎いから。愛情って得られるとなんなの?どれが愛情なの?
愛情がわからないわけではないのです。
強いていえば、愛情を感じる手段が直接的なものであると、一気に浸透していくタイプではあるんですけどね。難しい。笑
愛を理解できるくらいに愛されてみたい
ばれてんのに隠すふりしなくていいってよく言われるけど、隠すふりしている自分に気づいてる場合はどうしたらいいんだろう
私はなにがしたいんだろう
1人で寿司食べに行かなきゃ
来週も落ち着いて丁寧に生きていけますように
真理
全部正解で、全部間違い
ということ。
AとBの道があったとして
Aを選択していたら、きっとBを羨む部分があり
Bを選択していたら、きっとAを羨む部分がある
どちらも正解で、どちらも間違い
人生を振り返った時に、なるべく後悔のない選択をし続けること。
それが大事なことらしい。
なるべく後悔のないような選択とは、
失って1番後悔するものは何かを見極めること。
私の人生は、私しか責任がとれない。
誰も私の人生の責任を取ってくれない。
横からあーだこーだ言われても
結局私の人生を生きるのは私。
他の誰でもない。
だから、自分の人生は自分で納得のいくように生きて、そこに責任を持つ必要がある。
「生きるって、責任。」
本当にそう。
人生の責任が伴う代わりに、人生の選択権がある。
だから他人の発言を聞き入れることを「選ぶ」ことも出来るし、他人の発言を振り切って自分の意志を「選ぶ」こともできる。
ただどちらにせよ、その責任は自分で持つ。
選択の仕様は自由だけど、その責任だけは、なにがあっても自分で持たないといけない。
…何回この議論を、ひとりで反芻するんだろう。笑笑
不安なことがある。
自分で言うのもなんだけど、私は我慢強いから。
なにがしかの選択をする時に我慢をしちゃうし、しかも耐えちゃうんじゃないかと言うこと。(経験済)
やはり本心を隠してしまうのではないかということ。(必殺技)
でも
「もう、他人の幸せを考えてる場合じゃない。自分の幸せについてきちんと考えるべき時期だと思う。」という言葉を聞いて
そうだよなぁと思った。
いつまでも悲劇のヒロインではいられないし、いつまでも本心を他人に譲ってはいられない。
多分きっと、私にも幸せになる権利がある。(はず)
人生って何が1番大事だと思いますか。
私は
「自分らしさを追求し続けること」
なのではないかと最近思います。
それが命を頂いた理由や生まれてきた意味に繋がるのかな、なんて。
「私はこう思う」「私はこう感じる」「私はこうしたい」をはっきりさせること。
自分の意志を持つこと。
「私」をスペシャルな存在に仕立てあげていくこと。
それが生きてゆく「使命」なのかなと感じています。
前述に戻りますが
全て正解で全て間違いなのです。
自分の中に湧いてきた想いに、びびってどうする。
他人に否定されることを恐れる前に、まずは気持ちを明確にさせなきゃ。
だって、本来は喜ばしいことだもの。自分の中に感情が湧くって、素敵な事だもの。
だから私は他人の生き方を極力尊重していきたい。否定したくない。だって意義深いことだもの、みんながそれぞれの生き方でそれぞれの命を全うしてるなんて。
あー寝る。
もし
がんって目に見えないと思ってた
悪化すると、外に出てくるんですね
あんなに大きく腫れて膨れて。
生きたくても生きられない人もいて
死にたくて死んでいく人もいる
なんとなく生きる人もいて
なんとなく死んでいく人もいる
生きている人が正解でも不正解でないし、死んでいく人が正解でも不正解でもない
「生きたくても生きられない人がいるんだから自殺なんてダメだよ」
どうしてそう言いきれる?
生きていくのは本当に大変だと思います
悟った
人生1回目なんだから、失敗しても間違っても苦しんでも当然なんだということを。
残高が0円になりました
失恋しました
離婚しました孤独になりました
大病を患いました
大切な人が死にました
私も死を選ぼうと思います
全部、全部起こりうるし、仕方ない、これが人生なんだから苦しみなんて避けられない
いったいどこの誰が他人の人生を笑えるんだろう。ばかにできるんだろう。けなせるんだろう。
完全に、明日は我が身なのにね。
だから他人は傷つけちゃいけないんだと思うの。
でもね、わかったことがひとつ
現実の世界でも、最期の瞬間まで命を使い果たす人間がいるということ
命は
命はやっぱり燃やすものなんじゃないかと思っていて、そう思うと「燃え尽きたともしび」って正しいと感じるの。
まだどういう死に方をするかわからないけど、最期の瞬間まで私らしいとするなら、命を燃やし続けることなのかなぁ、なんてね。
もし私に何かあったら
仏花ではなく、美しい生花で埋めつくして欲しい。薔薇多めがいいな。できれば、きらきらの粉を花にまぶして欲しい。(藤岡にある夢工房というお花屋さんに話せばわかると思います)
ちゃっかり少しだけ泣いてもらって、笑笑
あとは忘れて欲しい
こないだ友人から
「もしもの事があったら、骨は海に撒いてあげる」と言われて
突然何の話をするんだと慄いたものの、なんかそれもありなんかなぁみたいな
仏壇に写真とか飾られるのあんまり好きじゃないし、写真の代わりに文字でも書いておこうかな。
でっかく「志」とか書いておこうかな。
でも志だと暑苦しいから。笑笑
「織」の方がいいかな。どうだろう。
お線香の代わりにお手紙が欲しい
どうなるんだろう、明日ですら本当にどうなるかわからないなんてね
どうやって生きていこうかなぁ
どうやって過ごしていこう
本当はまだ行ってみたいところも沢山あるし、話してみたいこともあるし、読んでみたいものもあるんだよね
心の中にどんな感情が浮かんだとしても、日々を大切に生きていかないとね
深呼吸
ひとつの答えとして
こっそり考え続けていたこと
大枠として
「人としてどう在りたいか」
もう少し細分化して
「愛を目の前にした時どう在りたいか」
答えが出したくても、きっかけがなければ答えは出せないものだ。経験や思考がなければ納得のいかない答えになってしまうだろうし、きっと確信がもてない。
今日は、そんな答えに近づいた大切な日。
全細胞が感情に乗っ取られました。
自分の感受性の豊かさと脆さを甘んじていた。
ものすごい勢いで確信に近づいていく、私の思考。背中を押されるというよりは、全部まるごと抱き抱えられた感じ。
感受性どーのこーのっていうか、私も悩んでたんだと思う。いろんなことを、知らず知らずのうちに。涙、鼻水、嗚咽。人前でもおかまいなし。いいじゃないの、人間なんだから、泣きたくなった時くらい泣かせて。タリーズのミルキーフラットホワイトの中に零した涙。涙の味と、コンデンスミルクの味。混ざっていく。なんとも価値のあるものでした。誰も私のことを見ないでくれ。
私は他人に共感をそこまで求めない。
だって多分私のこの高ぶりはあんまり他人に伝わらないと思うし、そもそも共感の共有って押し付けるものじゃないと思うの。だから好きな本とか好きな音楽とか、人に貸せない。(有難いことに、周りの人は私にめちゃくちゃ貸してくれる。それは凄く嬉しいの、世界が広がる、ありがとう。)
これはわたしのきもち、それはあなたのきもち。こういう発見があったの、こう感じたの。へえ。素敵だね。これでいい。
むしろ、自分の感じたことを伝えたいと思う人がいるということ、聞いてくれる人がいること、それが1番の幸福だと思います。
非常に前置き長くなりましたが、
辻仁成さんの「サヨナライツカ」を読みました。
私と本の出会いはいつも適当だから、本屋に入って本の前に立ち尽くしたまま
「恋愛小説 泣ける」
「おすすめ 感動小説」
とか、真顔でネットサーフィンするのが定例。
そんで、良さげなのがあればその本を見つけに行き、本の裏表紙を見る。
惹かれたら、読む。
何かちげえなと思ったら、棚に戻す。
今日はなんとなーく、優しい文体に触れたい気持ち&いつもみたいに詩を求めてる私じゃなかったので、ひとまず、なんとなく江國香織コーナーに足を運ぶ。
お目当ての「いつか記憶からこぼれ落ちるとしても」が、ない。
…ないのかよ。
気を取り直す。
もう一度、ネットサーフィン。
どれもこれもあまり心にヒットしなくて、下に下にとスクロール。
私の指、めちゃくちゃ早く動くな。スクロール大会あったら優勝できるかもしれない。
君の膵臓をたべたいの気分でもないしな、銀色夏生の新刊の気分でもないしな、あれ、今日不発かな、やっと読書する気になったのにな…
あ
「人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと愛したことを思い出すヒトにわかれる。」
「私はきっと愛したことを思い出す。」
これじゃん。これじゃん…!
今の私の脳内議題に近いもの。
よし決めた、はい、辻仁成コーナーの前にゆく。あ、サヨナライツカあった、最高。表紙真っ赤なんだ、へー。はい、買う。レジ混んでんな。買えた。はい、読もう。うわータリーズ激混み。飲み物買えた。はい、読む。
あらすじや本の内容についてこと細かに書くつもりはない。
私は、どう在りたい?どう生きていたい?と問われたら
「誰かを想える人でいたい」
というのが、真っ先に本音だった。それはこれまでも、そして今も、きっとこれからも変わらない。って心のどこかではわかってたんだけど
でも大声で言えなかった。いまいち確信も持てなかった。
というのも人を想った結果、自分が傷ついてることの方が多かったから。臆病になっていたんだと思う。
だって愛された方がいいじゃない。幸せになりたいもん。甘やかされたいし絆されたいし、上機嫌になりたいしちょっとだけ浮つきたい。だって愛されてないと愛の実感が湧かないじゃない。
物語の主軸になる一遍の詩がある。
ーーーーーーーーー
いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない
孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うほうがよい
愛に怯える前に、傘を買っておく必要がある
どんなに愛されても幸福を信じてはならない
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない
愛なんか季節のようなもの
ただ巡って人生を彩り飽きさせないだけのもの
愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のカケラ
サヨナライツカ
永遠の幸福なんてないように
永遠の不幸もない
いつかさよならがやってきて、いつかこんにちはがやってくる
人間は死ぬ時、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトとにわかれる
私はきっと 愛したことを思い出す
ーーーーーーーーー
「ええ、もちろん愛されたことも思い出すでしょう。それは嬉しい記憶として。でも愛した、ということ。自分が誰かを真剣に愛し抜いたということは、生き物として生まれてもっとも尊いことだと考えるのです。そういう一生を送りたいんです。」
あぁ、こういうことか。
私の本心に近いのは、これ、なんだな。
とにもかくにも、あぁ、語彙がないから。
昔ママが冬のソナタを見たあとにね、「ピーマン切ってても話を思い出して涙出てくる」って言ってたんだけど、それと同じ現象起きてる。
誰かを愛すること。
たとえ数日でも数ヶ月でも数年でも、
目の前の人間を本気で愛すること。
たとえその人が永遠の心の枷になったとしても、もう戻れない過去を思い出しては苦しむとしても、
愛した事実は何一つ消えないということ。
過ごした時間に何一つ嘘はないということ。
永遠に心の中で生き続けるということ。
そして、その人を愛せたことを心から誇りに思えること。その事実だけで、余生を生きていくエネルギーが生まれるということ。
愛している、という想いは真実であること。
私はまだ子供だから、これからも沢山いろんなことを経験してしていくんだと思う。
そんな中でも…
自分はどう在りたいか
見失わないように、揺れ惑っても最後はここにかえってこれるように
真っ直ぐ生きていきたいなと誓いたいです。
沓子が豊に宛てた手紙の内容が素晴らしいんだ。
これを印刷して部屋に貼り付けておきたい。
ここにはあえて記載しないでおこうね。
結局何が言いたいのかわかんないけど、本日のひとつの答えとして
私もきっと、死ぬ前には
愛した人のことを思い出します。
東京論
日々あなたを想い描く
ただそれだけで息をしている
馬鹿げてる馬鹿げているけど
あなたをみつけた
この街の名は、東京
…これはきのこ帝国の「東京」
私はやっぱり都会にほんの少し憧れている。…勝手に憧れているだけで、さほど手を伸ばすつもりにはならないけど。
「あの子は貴族」という映画が公開されて、原作作者のエッセイが面白かった。
【「東京」は地方出身者のわたしにとって、あまりに居心地がいい】
という、地方に生きる人間にとっては非常にセンセーショナルな見出しから始まるエッセイ。
あー
都会に住んだことないのに、わかる。この、東京の安心感。
・人が多い
・街が明るい
・ちょっとだけ最先端
もうこれだけでいいもん。
でも1番好きな理由はね、東京にいると「宝探し」が出来そうなところ。
沢山のものや人や要素が溢れる中で、自分の周りに何があって誰がいるのか。私は何に手を伸ばすのか。何を掴むのか。
東京にいると、世俗に埋もれる謎の安心感に包まれながらも、自分にとって大切なものをじっくり見つめられる気がして。
なんか、今でも憧れちゃうんだよなぁ。
大学受験に失敗してたら2年は横浜、2年は白金台に住む予定だった。
…白金台在住の私……
ちょっと見てみたいわ………
都会に住んで私は何を感じていただろう。
誰と居ただろう。
どんな夜を過ごしただろう。
絶対に今の職にはついていないだろうし。
いやー人生何が正解かわからんぞ!笑笑
…誰かに見つけて欲しいんだと思う。
東京に憧れる1番の理由は、雑多な人とモノに溢れかえる中でも誰かに見つけて貰えるんじゃないかっていう、そこの期待なのかも。
変なの。笑笑
「私」を「私」として見てくれる人間が、果たしてこの世界にどれくらいいるだろうか。
早く東京に行きたいな。わけもなくいろんな駅で降りてみたいし。ふらっと見つけたご飯屋さんに立ち寄りたい。メイドカフェとか入ってみたいな。東京の映画館はどんな感じなんだろう。ちゃんとキャラメルポップコーン売ってるかな。スクランブル交差点歩いてみたいな。やっぱり東京の空は狭いのかな。多分空気はそんなに綺麗じゃないよね。狭苦しいようでとても広い、そんな都会の中で誰が隣にいてくれるんだろう。
知ってるつもりだけど、世界ってめちゃくちゃ広いよね。
知らないことが沢山。
いい本に出会いたいな。
でもね、心と時間に余裕がないと読書ってできない。
リラックスする術を身につけたいと思う、2月も残り2日。
2/25
心の在り方について。
大学4年間の中での変化より
社会人になってからの1年の変化の方が大きい気がする
大学生の頃は、なんていうかめちゃくちゃ病んでた?(私的には病んでないけど傍から見たら病んでるように見えてたと思う)けれど、なんか社会人になってから変な病み方をすることが減った。(気がする)
落ち込んでからの立ち直りも早くなったし、変に無意味にもやもやすることとか、血圧が低い感じとかも少なくなった気がする。血圧も上が100を超えるようになったし!(ちょっとだけど)
1番おお!って思うのは
(下血の回数が減った👏)
やったね!!!(完全に無くなったわけじゃないけど)
大学生の頃は毎日めちゃくちゃ死にたかったけど、(まぁ今も思わないことはないけど)、それも減った。
やっぱり沢山寝てるからなのかな。笑笑
でも睡眠の凄さはめちゃくちゃ痛感してるよ。
死ぬって思ったらとにかく寝ろ、っていろんな人が言うけど、あれは多分正しいんじゃないかな。
あとはまぁ、私的には縋るものがなくなったってのは大きいかな。人生の支えが、常に手を伸ばしていないとなにもないというか。自分でしっかりしないと、幸にも不幸にもなるというか。だからこそちゃんとしなきゃ感が増した。自分を幸せにできるのは最悪自分しかいねえんだな!!って思ったというか。正直、大学生の頃は「大学生」というステータスに甘えられる部分もあったし、なにより私には舞台があった。今は安心して立っていられる場所がないもの。しがない社会人。体裁的にはぼっち。どう生きていくべきなのか悩み続けるばかりです。
大学の頃は舞台をやっていたこともあって、毎年のルーティーンみたいなものがあった。
けど、もうそういうのもないし。
毎年この時期にこれやろうね!とか、毎年この時期に会おうね!みたいな何かもないし。
ただ春が来て夏が来て。秋が来て冬が来る。
仕事仕事仕事。
いったい私はこれからどうやって生きていくんだろう。
昨年の秋、大学のいちょうの木を見に行かなかったこと、未だに後悔している。
あれだけずっと考えてたのに、なんだかんだで行けなかった。いや、行かなかった、のかもしれない。
まぁ見たところでさ、色々思い出して感傷的になりたいだけやろって感じなんだけどね。笑笑
いちょうがまた色づいてくれるのを待つには、あまりにも長い気がするの。
「昨年の秋」って言うと、凄く昔のことに感じる。けど、ほんの数ヶ月前のこと。
時間に置いてけぼりにされてる気がして、少し寂しい。
正直つかれたなぁ
本当はもっと元気な状態で言葉を綴りたいし、沢山沢山書いていたい。
トナカイさん(私の好きなTwitterの詩人さん)は、今年に入ってから未だに休日がないくらいの社畜らしいんだけど、それでもああやって日々美しい言葉を紡いだり、写真として日常の断片を切り取ってみたり、季節が魅せる表情に敏感だったり…凄いなぁ。
豊かな人は、どんな日々でも印象的に生きてるんだな。私もそうなりたい。
最近働いてて思ったんだけど、多分私は我慢が得意なんだ。別に仕事だけに限った話じゃないんだけど、我慢が上手。でもそれって、周りにとってはいいかもしれないけど自分にとってはちっとも良くないよね。そういうのってさ、どうしたらいいんだろうね。
だから感じたんだけど、私多分辛いとか苦しいとか叫ぶ前にぽっくり死んでる気がする。笑笑
布団ってあったかいな
ひとまずあと1日ちゃんとしよ