人間には、誰しも切り札があると思っている。

 

「結婚してる」ことが切り札の人間もいれば、「好きなことを仕事にしてる」ことが切り札の人間もいて、「あたたかい家族に囲まれている」ことが切り札の人間もいつつ、「超絶美人」なことが切り札の人間もいるのだと思う。

 

 

「これだけは他人に勝っている」という「なにか」こそが切り札で、その手札を大事に大事にあたためながら、無くさないように守りながら生きている人が沢山いるように思える。

 

 

他人と比較する人生なんて嫌だよと思うけれど、どんな時も隣の芝生はやや青く見えるのがこの世のセオリー。だから他人をうらやむ暇があったら、自分の切り札に焦点を当てていたいのが人間の性。

 

 

では、私の切り札とは。

 

 

 

切り札を失ったら、人は絶望するだろう。そこからどのように生きていくのだろう。

 

 

 

 

最近、人を褒めるとなんだか喪失感を感じるようになることが増えた。

人を褒めると、なんとなく自分の価値はどんどん薄れていくように思える。人のいいところは沢山見えるし実感できるけど、自分のいいところって全然わからないからだ。

「いつも沢山褒めてくれてありがとう」って言われるのは嬉しいし、自分も人の良いところはわりかし気づいてしまうタイプなので、ならば発信した方がいいじゃない…!と思うのだけれど。

 

人のいいところに触れる度に、からっぽな自分自身に気づいてしまうから、つらいのだ。

 

私は似合う色がない。

これといって、似合う色がない。

だから、洋服は黒ばかり着てしまう。1番安心するから。

…こういうところが、人間的にからっぽだなぁと思う。もっと彩り豊かな人間になりたかったなあ。

 

 

生身の人間からしか得られないインプットが、枯渇しているのだと思う。

映像とか本とか芸術とかそういう媒体じゃなくて、生身の人間が私に訴えかけてくるなにかに触れたい。

生身の人間の、熱い何かに触れたい。

 

 

 

私の人生のピークは折り返しただろうか。

 

 

寒くて暗い寝室の中、胎児のような風貌で今日も眠る。

 

冬の孤独にも慣れた。

 

 

 

確かなぬくもりがほしい。

 

 

 

 

最近、人生は短いのか、人生は長いのか、わからなくなった。

ちなみに私は現時点、長すぎると思っている。

 

 

 

1月も折り返しますよ。