11月9日

物理的に自分を見るのが好きじゃない。

 

お風呂を出たあと、じっと自分の顔を見つめてみる。

お、意外にも、自然に紅潮した頬が好き。

それに気づいた瞬間だけ、自分の瞳の中に入れるような気がした。

 

乾かしたて、少し長めの前髪からのぞく目が、まるで自分の目じゃないみたいで、心ごと無言になる。

 

 

 

足取りは軽く、声もそこそこに弾む。

少しだけ背中が痛くて、何故だか耳が赤い。

 

体つきは女だった。

洗面台の安い蛍光灯は、意外といい仕事をしている。肌がとても白く見える。

 

この白い皮膚の下に赤い血を宿していると思うと、不思議な気持ちになる。

皮膚って意外と頑丈なのね、もっと透かしてしまってもいいのに。

 

 

 

 

 

 

 

人生は、忘れがたい断片にどれほど心を動かされたかで決まるらしい。

 

それで人生が決まるとは思ってないけど、私も大切な瞬間はいくつか抱いているし、それを誰にも見られないようにぎゅっと抱き締めて生きてる。

自分が体感した断片は、どれも意外といいものだと思ってる。そのことだけ考えたら、私の人生は割と小説的だと自負したい。

 

 

 

 

 

「尊厳」

 

という言葉について、やっと考える時期がやってきたらしい。

 

 

尊厳。

 

尊く、おごそかで、犯してはならないこと。気高く威厳があること。

 

 

 

人はみな、尊厳を抱いているものなのだろうか。

私的には、人間自体が尊厳というか、人間の存在がそもそも尊厳そのものなのではないかと感じた。

 

だって、尊くて、おごそかで、犯してはならない。それって、人間のことかなって。

 

 

でも、なんていうか、もう少し端的に言うと「傷つけられたくない部分」が尊厳?

尊厳を壊されちゃうと、凄く生きる自信を失うと思う。

そう思うと、誰もが心の中に尊厳を抱いている…のだろうなと思う。

ただ、本当に多岐にわたるとも思う。様々な尊厳の形があり、種類があり、言葉として言い表せないものもあると思う。

人の数だけ、いやそれ以上に、尊厳は存在する。

 

 

そして思った、むやみに人の尊厳に触れてはいけないなって。

たまーに触れちゃうことがあるんだと思う、意図せずとも、あっ、この人の尊厳って多分ここにあるんだ、ってはからずも現れちゃう時が。

もしくは触れられて始めて、私の尊厳ってここにあったんだなって気づくこともある。そんな時に、きちんと尊厳から1歩引いてあげなきゃいけないんだなって思ったの。

 

 

尊厳って、すごく弱いと思った。

ふよふよしてて、柔らかくて、すぐ飛んじゃう羽みたいで、すぐしぼむ。

 

 

いかつい漢字のくせに、実際とても弱いなと思いました。

 

 

 

 

 

10月の目標は

 

「秋、大堪能」

 

 

 

 

個人的には、めちゃくちゃ苦しんだので、クリア。

 

 

私の中の「堪能」は、娯楽や何かを楽しみたかったという訳では無いです。

なんていうか、いかに知見を得られたか、みたいな感じ。

 

 

 

 

無意味な夜もわりと過ごしました。

心と身の起き所が本当にどこにもなくて、意味わからない時間から本庄早稲田方面の喫茶店で人生初のウインナーコーヒーに挑戦したり。

男性客や高校生達に紛れて、そこそこかわいい服を着たままラーメンを食べてみたり。(替え玉できなかったちくしょう)

死んだ顔でズカズカとコスモス畑に分け入ってみたり。(通りかかりのバイクのお兄さんに心配された)

 

 

 

 

本当に、

 

 

清々しく、死にてえなぁと言える日々でした。

 

 

 

こんなこと言っちゃっていいのかな。ま、いっか。たまにだし。

 

 

 

 

秋は本当にいい季節です。

 

 

深く堕ちていける。

私の手をとってくれた人だけが幸せになればいいとすら思っていた。

周りにいい顔をする事が段々と苦手にもなってきますね。

 

 

 

ただ最近、あぁ私甘っちょろかったなぁ、なんて思ったりしたこともあったので、ちょっとこの辺は11月に引き継ぎます。

 

 

 

 

 

 

 

11月の目標は

 

 

 

「堪能の先に行く」

 

 

です。

 

 

 

 

 

いちょうが色づいたらしいよ。