道
26時の高崎。
似たような店が隣接するのは何故なんだろう。
車屋のそばに車屋があったり、雑貨屋のそばに雑貨屋があったり、吉野家の隣に松屋があったり。
最近道路工事が流行っているのだろうか、やたらと片道が封鎖されている。
物心ついた頃から、深夜の道路工事のおじさんを見ると涙がでてくる習性にある。あたたかい缶コーヒーの1本でもくれてやれればいいんだけど。
26時。冬。重苦しい服に身を包んでの力仕事。そこまでして守りたいものってなんだろう。どんな家族がいるんだろう。はたまた1人かな。親と同居かな。可愛い子供がいるんだろうか。
高崎の道は、大好きで嫌いだ。
道の至る所に、あまりにも思い出が詰まりすぎているから。
眠い目を擦って大学に向かったこともそうだし、準備万端で胸をときめかせて会いに行く時も。初めての感情を覚えた満月の夜も、身も心もぼろぼろにされて帰った深夜も、そういえば高崎の道だった。
あの頃の私と今の私は何が違うんだろう。
こないだ言われたことメモ。
「あなたは想いを〝残す〟のが上手だよね。」
…どういうこと?
「たとえ離れても、なんか残るものがあるの。ちょっとしたひとこととか、何気ない姿とか。なんでだろうね、とにかく、何かを残して去っていく。そして心の中で何かが繋がって、あなたの残したものが生き続けていくの。そんな人に感じる。」
そうなんだ…。言われるまで、そんなこと考えたこともなかった。
残す、かぁ…。
こないだ、朝お風呂に入った。
朝のお風呂はお湯によって蒸発した霧が映えるから好きだ。
身体にシャワーを一通りかけて、そのあたたかさに力が抜けてマットにへたりこんだ。
無防備な私の横で、暴れるシャワーヘッド。
窓から差し込むプリズムみたいな光。
光に照らされる無数の霧があまりにも美しくて。
美しくて。
どうでもよかった。
何に悩んでるのかわからなくて泣いた。
前向きでいたい。
でもどこが前でどこが後ろで横で斜めなのかわからない。
自ら出てくる言葉が全て薄っぺらく感じる。いらいらする。正解も真実も吐けない。いやでもそれはあたりまえか。だって正解も真実もこの世にはない気がしてしまうから。どうして逃げ道を探してるんだろう。なぜこんなにも保守的なんだろう。今更傷つくことなんてないはずなのに。でも「自分を守ることを覚えろ」と散々言われたから反省して忠実に生きているだけ。でもじゃあ自分を守るって何、自分を守るってのは、自分の「なに」を守ることと同義なのですか。
結局は誰のことも大切にできない気もして、ならいっそ空気になりたい。
枕元に置いてあった漫画の最終巻の背表紙に書いてあった。
「あなたひとりいなくなったところで、世界は何も変わりません。だから、がんばらないといけないのです。」
何をがんばるのよ。
世の中の名言や綺麗事は、リアルな生き様の前では通用しない。
何を感じ、何を考え、どうしたいか。
いつでも自分の中にしか答えがない。答えがないなら自分で答えを創るしかない。